第一章 新選組十番隊隊長、原田左之助という男
槍の名手。気が短く、豪快な男。
新選組十番隊隊長として知られる原田左之助には、そんな印象がある。けれど、彼を知っていた人々の話をたどると、それだけでは収まらない顔が見えてくる。
子供と遊んでくれた、若い奉公人。
京都の暮らしの中で見かけた、せっかちな隊士。
後世に語られる勇ましい左之助と、身近な人の記憶に残った左之助。その両方から、この男に近づいてみたい。
子供の記憶に残った左之助
左之助は天保11年(1840年)、伊予松山、現在の愛媛県松山市に生まれた。若い頃は「中間(ちゅうげん)」という、武家に仕える奉公人の立場で働いていた。
その頃の彼を知る一人が、後に俳人となる内藤鳴雪(ないとう めいせつ)である。
江戸の松山藩邸で過ごした少年時代、鳴雪は内藤家で働く左之助によく遊んでもらったという。『史談会速記録』に収められた後年の回想では、左之助を頭の働きがよく、子供の目にも美男と映る人物だったと語っている。
ここにいるのは、まだ新選組の隊長ではない。仕事の合間に子供の相手をする、若い左之助だ。
鳴雪の記憶には、胸の痛む出来事も残っている。
ある日、中間たちの長屋で騒ぎがあり、のぞいてみると、一人の男が縛られて水を浴びせられていた。鳴雪には、親しくしている左之助のように見えた。他の子供たちにも確かめ、家に戻って、どうにか止めてやれないかと訴えたという。
いつも遊んでくれる人が、ひどい目に遭っている。
少年にとって、それは放っておけないことだったのだろう。「豪快な男」という短い紹介では見えにくい、人とのつながりが、この回想には残っている。
気の短さも、その人の一部だった
一方で、左之助を穏やかな好青年として描くだけでも、人物像は遠ざかってしまう。
鳴雪の回想によれば、先ほどの騒ぎについて、酒を飲んで帰った左之助が荒々しく振る舞い、制止した目上の者に口答えしたため、罰として暴力を受けたのだと、後から説明されたという。
子供に親しまれる姿と、周囲と衝突する姿。その両方が、一人の左之助の記憶として伝わっている。
京都でも、気の短さをうかがわせる話がある。
新選組の屯所(活動の拠点)となった八木家の為三郎は、子母澤寛の『新選組遺聞』に収められた回想で、左之助を気短でせかせかした男と語っている。「斬れ斬れ」と口にする様子も伝えており、身近で暮らした人の記憶には、彼の荒っぽさが刻まれていた。
こうした話を読むと、左之助の魅力は、何でも格好よく片づけられるところにはないと感じる。
親しみを持たれる一方で、扱いにくい気性もあった。人を傷つける戦いの中にも身を置いた。整った英雄像からはみ出す部分まで含めて、彼の姿は印象に残る。
奉公人から、新選組の幹部へ
やがて左之助は故郷を離れ、近藤勇たちと行動を共にするようになる。文久3年(1863年)には浪士組に加わって京都へ向かい、その後も近藤らとともに京都に残った。
新選組では、副長を補佐する「副長助勤」を務め、十番隊隊長として知られる幹部となる。
少年に遊び相手として慕われていた若者が、動乱の京都で隊士を率いる立場に立った。その間には、まだ詳しく分からないことも多い。だからこそ、残された言葉を一つずつたどりたい。
原田左之助は、どんな男だったのか。
その問いにもう一歩近づくために、次は彼を語るうえで欠かせない槍術へ目を向けてみよう。

第二章 原田左之助の槍術の実力と魅力
槍は、広い戦場では頼もしい。だが、狭い屋内や、人が入り乱れる場所では、その長さが扱いにくさにもなる。
それなのに、原田左之助はなぜ、新選組で槍の名手として名を残したのだろう。
剣士たちの中で、槍を手に戦った男。その強さを知る手がかりは、流派の名と、実戦での働きに残っている。
左之助の槍術は、どこから来たのか
左之助が学んだと伝わるのは、「種田流(たねだりゅう)」の槍術だ。故郷を離れた後、大坂の谷兄弟の道場で修行したとされ、槍術を教えていた谷万太郎との関わりが挙げられる。
永倉新八も、左之助を槍術の免許を得た人物として書き残している。ただ、永倉の記述では師を谷三十郎とし、流派名にも宝蔵院の名が混じるため、修行の細かな経緯には分からない部分がある。
それでも、共に戦った永倉が、左之助の武芸を語る際に槍術を挙げている点は興味深い。
左之助といえば槍。その結びつきは、今の私たちが物語から抱く印象だけでなく、仲間が残した記録にも見えるのである。
池田屋の戦いは、屋内だけではなかった
元治元年(1864年)、池田屋事件。
近藤勇たちが池田屋に踏み込んだとき、左之助は土方歳三の隊に属し、別の場所を捜索していた。知らせを受けた土方隊は、その後、池田屋へ駆けつける。
この戦いで、左之助の槍が働いたと伝わる場面がある。
永倉の記録によれば、捕らえられた者の一人が縄を解き、外へ逃げ出した。左之助はそれを追い、槍で仕留めたという。
池田屋と聞くと、狭い部屋や階段での斬り合いが浮かぶ。そこへ長い槍を持ち込む姿を想像すれば、動きにくくはなかったのか、と疑問に思う。
けれど、この記録が伝えるのは、外へ逃げた相手を追う左之助の姿だ。
建物に踏み込む者がいる。その外へ逃れようとする者もいる。新選組は、どちらにも対応しなければならなかった。
槍の使い手が力を発揮する場面は、屋内の斬り合い以外にもあった。そのことが、左之助の働きから見えてくる。
長い槍を、自分の武器にする
槍の穂先は、刀より遠くへ届く。
相手がこちらへ近づく前に、攻撃を届かせられる。その長さは、向かい合う者にとって大きな脅威だっただろう。
ただ、実際に相手を捉えるには、穂先を向けるだけでは足りない。逃げる相手を追うなら、自分も動く。足を運びながら槍を扱い、届く距離をつかまなければならない。
今回たどった資料からは、左之助が用いた細かな技までは分からない。それでも、池田屋での働きは、彼の槍術を考える具体的な手がかりになる。
長さを持て余す場面もある武器が、逃走する相手を追う場面で使われている。そこに、槍を扱う技量の凄さを感じざるを得ない。
左之助の槍の魅力は、構えた姿の迫力だけでは終わらない。戦いの中で、その槍がどう働いたのか。そこまで目を向けると、「槍の名手」という呼び名にも重みが生まれる。
そして、その姿を伝えた永倉新八は、左之助と共に戦った仲間でもあった。次章では、二人の関係、そして近藤勇・土方歳三とのつながりをたどっていく。

第三章 原田左之助の人間関係
原田左之助は、仲間とどんな関係を築いていたのか。
永倉新八とは、新選組を離れた後も行動を共にした。一方、局長の近藤勇には、仲間とともに異議を申し立てたことがある。副長の土方歳三とは、任務で同じ隊に属していた。
それぞれとの関わりをたどると、槍を振るう姿だけでは分からない左之助が見えてくる。
永倉新八――新選組を離れても、共に戦った仲間
左之助と永倉の関係で印象に残るのは、新選組を離れた後の行動だ。
慶応4年(1868年)、甲州勝沼での敗戦後、二人は近藤らと別れ、靖兵隊(せいへいたい)という新たな部隊の結成に加わった。隊を離れても、戦う相手まで変えたわけではない。引き続き、旧幕府側として新政府軍と戦う道を選んでいる。
同じ隊に所属していたから一緒に動く。それなら組織の中では珍しくない。けれど、その組織を離れた後にも行動を共にしているところに、二人の関係の深さを感じる。
ただし、「最後まで一緒に戦った」とすると、少し違う。
左之助は途中の山崎宿、現在の千葉県野田市で靖兵隊を離れた。永倉の『浪士文久報国記事』では用事が理由とされ、『新撰組顛末記』では妻子への思いが語られている。記述に違いがあるため、別れた理由を一つに決めることはできない。
二人の関係には、もう一つ大切なことがある。今、私たちが左之助を知るうえで、永倉の記録が手がかりになっていることだ。
第二章で触れた槍術や、池田屋での働きもその一つ。永倉は共に戦った仲間であり、左之助が何をしていたのかを後世へ伝えた人物でもある。
近藤勇――局長にも異議を唱えた
左之助と近藤の関係は、局長と幹部という肩書きだけでは捉えきれない。
元治元年(1864年)、左之助は永倉や斎藤一らとともに、近藤の振る舞いを問題にした「非行五ヶ条」を、新選組を預かる会津藩側へ訴えたと伝わる。
隊内の不満を、組織の後ろ盾にまで届けたわけだ。局長が相手でも、黙って従うばかりではなかったことが分かる。
五ヶ条の詳しい内容は分かっていないが、会津藩主・松平容保が間に入り、この一件は収まったという。左之助たちはその後も隊に残っている。
意見がぶつかっても、共に働き続けた。この点は、後の決別と合わせて見ておきたい。
慶応4年、勝沼で敗れた後の対立について、『新撰組顛末記』には、近藤と永倉のやり取りが残されている。
永倉らが会津へ向かう考えを伝えたところ、近藤は、自分の家臣として働くなら同意すると答えたという。これに対し永倉は、これまで共に行動してきたが、家来になったわけではない、と応じたとされる。
ここで語られているのは、誰の指揮下で、どのような立場で戦うのかという問題だ。
永倉側の回想なので、これだけで決別の事情をすべて説明することはできない。それでも、左之助も永倉とともに近藤のもとを去ったことは、二人の関係を考えるうえで外せない。
近藤を支えた年月もあれば、そのもとを離れる判断もあった。左之助が誰と行動するかを考える際、局長との付き合いの長さだけでは決まらなかったのだろう。
土方歳三――任務を通じて関わった副長
土方と左之助については、池田屋事件での所属が、具体的な接点になる。
このとき左之助は、井上源三郎や斎藤一らとともに土方の隊に入り、捜索にあたっていた。副長が率いる隊で、左之助も実際の任務を担っていたのである。
一方、二人が普段どんな会話をし、どれほど親しかったのかは、今回たどった資料からは分からない。任務を共にしたことと、私生活での親しさは、分けて考えておきたい。
また、左之助が近藤のもとを離れたからといって、それだけで土方とも不仲だったとは言えない。確認できる行動から、二人の感情まで決めてしまうと、かえって関係が見えにくくなる。
左之助と土方には、まず新選組の仕事を共に担った関係があった。その具体的な関わりを押さえながら、次章では『ちるらん』が描く隊士たちとの友情を見ていこう。

第四章 ドラマ「ちるらん」から見る原田左之助
ドラマ『ちるらん 新撰組鎮魂歌』で、原田左之助を演じるのは柳俊太郎さん。この俳優さんがまた、無口な役なのにオーラがあって、カッコいいんです!
公式では、試衛館一の槍の使い手で、無口な大食漢と紹介されている。
第一章で触れた、気短でせかせかした左之助とは、ずいぶん印象が違う。史実をもとに大胆な解釈を加えた作品だからこそ、ここからは『ちるらん』ならではの人物像として楽しみたい。
「死神」の異名と、大鎌の迫力
『ちるらん』の左之助を語るうえで目を引くのが、大鎌を構える姿だ。
公式SNSでも、敵にとっての「死神」として紹介されている。剣士たちの中で大鎌を手にするという造形は、槍の名手として知られる左之助を、ひと目で印象に残る人物にしている。
第二章でたどった槍術と、この大鎌は分けて受け止めたい。「死神」という呼び名も含め、ここで取り上げているのは作品の中の左之助だ。
ただ、怖さだけに目を向けると、この人物の魅力を半分ほど見落としてしまう。
公式の紹介では、その力は仲間を守るものとしても示されている。同じ強さでも、敵には脅威となり、味方には頼もしさとなる。左之助の力が誰のために働くのか。そこに注目すると、「死神」という異名の受け取り方も変わってくる。
無口な左之助の、仲間への想い
その人柄を考える手がかりとして、面白いのが食事だ。
公式のキャラクター紹介投稿には、「みんなと食べるオヤジ殿の作る飯が、うまいぞな」とある。作品で仲間たちを父のようにまとめる近藤勇と、左之助の関係が伝わってくる言葉だ。
大食漢という設定だけなら、よく食べる男で終わる。けれど、ここには「みんなと食べる」という言葉がある。
何を食べるかに加えて、誰と食べるか。その楽しさに目を向けると、無口な左之助にも、仲間と過ごす時間を喜ぶ一面が感じられる。
戦うときの頼もしさと、皆で飯を食べる親しみやすさ。この二つがあるから、仲間を守るという人物像にも温かさが加わるのだと思う。
左之助のシーンの中でも、特に泣けるのが、新見錦の粛清を前に隊士たちが話し合う場面だ。
左之助は、裏口は自分一人で十分だと申し出る。歳三たちも、その言葉に、囮になる覚悟を感じ取っているように見える。一人で任せてよいのか。仲間たちが話し合う中で、最後に近藤が持ち出すのが、漬物の話なのだ。
また、漬物の漬かり具合を教えてくれるか。その約束ができないなら、裏口を一人で任せることはできない。近藤は、そんな意味の言葉を左之助にかける。
死ぬつもりなら行かせられない、と直接伝えることもできたはずだ。けれど近藤は、二人が日頃交わしてきた、何気ないやり取りを約束にする。
また一緒に、いつもの日常を過ごそう。その言葉には、生きて戻ってこいという想いが込められているように感じる。
左之助の覚悟と、それを察した近藤の返し。仲間を大切にする気持ちが、漬物の漬かり具合という身近な話で伝わってくる。この場面は、本当に涙ものだ。
公式SNSが伝える左之助は、言葉よりも行動で想いを示す男だ。友情を見るうえでも、台詞の多さだけでなく、仲間のために何をするのかを追いたくなる。
史実の左之助を知ると、ドラマとの違いが見えてくる。そしてドラマの左之助に惹かれると、実際にはどんな男だったのか、また知りたくなる。
原作漫画とドラマで、この無口な男の表情や振る舞いがどう描かれているのか。見比べる楽しみも、そこにある。

第五章 まとめ―原田左之助のブログを書いて思ったこと
原田左之助は、新選組の中でも人気のある隊士の一人だ。今回、その人柄や仲間との関係をたどってみて、私も彼に惹かれる理由が少し分かった気がする。
短気で、せっかち。そんな気性も含めて、左之助は人間味のある男だった。この記事を書いて私が感じたのは、永倉新八と同じように、自分の軸を持ち、仲間を想う気持ちの熱い人だったのではないか、ということだ。
局長にも異議を唱え、近藤のもとを離れた後も永倉と行動を共にする。その歩みに、自分が納得できる生き方や、人とのつながりを大切にする姿を感じた。
そして、ドラマ『ちるらん』にも、私が左之助に感じたその熱さが、しっかり表現されていたと思う。無口な人物として描かれていても、仲間への想いは伝わってくる。だからこそ、第四章で触れた近藤とのやり取りが、あれほど胸に響いたのだろう。
史実とドラマでは、違う顔を見せてくれる左之助。その両方に触れたことで、私にとって、もっと知りたいと思える隊士になった。

参考資料・関連リンク
回想や記録は、以下の紹介・解説資料を通じて参照しています。史実の記述と、ドラマの設定・筆者の感想は分けて記載しました。第四章の場面説明は台詞の逐語引用ではなく、視聴内容の要約です。



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