【VIVANT】登場人物から考える「愛」とは何か?

未分類

『VIVANT』には、さまざまな人間関係が描かれています。

家族、仲間、恋人、そして同じ目的のために行動する者たち。

しかし物語を見ていると、それらの関係を単純な言葉だけでは表せない「愛」があるように感じます。

誰かを守りたいと思う気持ち。

離れていても大切に思う気持ち。

血のつながりを越えて生まれる愛。

そして、性別に関係なく誰か一人を大切に思う気持ち。

今回は『VIVANT』に登場する人物たちの関係を振り返りながら、この作品に描かれている「愛」とは何なのか、温故創新なりに考えてみたいと思います。

憂助から感じる愛

乃木憂助の人生を考えるうえで、両親の存在は切り離すことができません。

幼い頃、憂助は両親と生き別れ、その後長い年月を両親と離れて生きることになります。

成長した憂助は、失われていた幼い頃の記憶を取り戻していく中で、自分の過去、そして両親の存在と再び向き合っていきます。

そんな思いを抱えていた憂助が、実は父が長い年月をかけて自分を探し続けていたことを知ります。

長い時間を経て明らかになっていく父と息子の関係。

そこには、簡単な言葉だけでは表すことのできない、親子の愛が描かれているように感じます。

そして、憂助の愛を考えるうえでもう一人欠かせない存在が、ジャミーンです。

バルカの砂漠で憂助が命の危機に瀕したとき、彼を発見したのがジャミーンでした。

その出来事をきっかけとして、憂助はジャミーンに対して、強い感謝と恩を感じるようになります。

その後、難病を抱えるジャミーンを助けるために行動する憂助の姿からは、単なる「恩返し」だけでは説明できない思いも感じられます。

自分を助けてくれた少女を、今度は自分が助けたい。

その気持ちは、やがてジャミーンを大切に思う愛情へと変化していったのではないでしょうか。

さらに憂助にとって、柚木薫も特別な存在になっていきます。

バルカで出会い、さまざまな出来事をともに経験してきた二人。

物語が進むにつれて、憂助は薫に惹かれ、二人の距離も少しずつ近づいていきます。

両親を思う愛。

ジャミーンを思う愛。

そして薫への愛。

同じ「愛」という言葉でも、その形はすべて同じではありません。

乃木憂助という人物からは、一人の人間が人生の中で出会う、さまざまな愛の形を見ることができるように思います。

薫から感じる愛

柚木薫から感じる愛を考えたとき、まず思い浮かぶのがジャミーンへの思いです。

薫はWHOの医師としてバルカで活動する中で、ジャミーンとその父・アディエルに深く関わっていました。

アディエルは薫の婚約者でもありましたが、その後命を落とします。

父を失い、さらに病気を抱えていたジャミーン。

薫はそんなジャミーンを放っておくことができませんでした。

自分の病院へ連絡し、ジャミーンの治療を優先しようと動きます。

そして日本へ向かうことになったジャミーンに、再び日本で会うことを約束し、抱きしめます。

そこから感じるのは、医師と患者という関係だけでは説明できない、薫の深い愛情です。

アディエルから託された大切な娘。

そして薫自身にとっても、守りたい存在になっていったジャミーン。

二人の間には、血のつながりとは違うところから生まれた愛があるように感じます。

そして薫の愛は、憂助にも向けられていきます。

バルカで出会った二人は、さまざまな出来事を経験する中で少しずつ距離を縮めていきます。

危険な状況をともに乗り越え、お互いを知り、やがて恋愛感情へと変化していく。

ジャミーンへ向けられる愛と、憂助へ向けられる愛。

その形は違います。

しかし、薫という人物から感じるのは、自分にとって大切になった人を簡単に見捨てない強さです。

誰かを大切に思うからこそ、その人のために行動する。

薫の姿からは、そんな愛の形を見ることができるのではないでしょうか。

ベキから感じる愛

ノゴーン・ベキの本名は、乃木卓。

そして、乃木憂助の実の父親です。

ベキの愛を考えるとき、まず浮かぶのは実の息子である憂助への思いです。

幼い頃に離れ離れになった二人。

長い年月を経て、父と息子は再び向き合うことになります。

しかし、ベキが愛情を注いだ相手は、実の息子である憂助だけではありません。

ベキは、孤児だったノコルを引き取り、自分の子どもとして育てます。

憂助とノコルに血のつながりはありません。

それでも二人にとって、ベキは同じ「父」と呼ぶ存在になりました。

さらにベキのそばには、バトラカとピヨがいます。

長い年月をともに生き、テントを支えてきた彼らとベキの関係も、単なる組織の指導者と部下という言葉だけでは説明できないように感じます。

ベキは、ノコル、バトラカ、ピヨに愛を注いできました。

そして、とても印象的なシーンです。

ベキから注がれた愛に対して、三人もまたベキへ思いを返していきます。

そこにあるのは、家族という言葉だけではなく、長い時間の中で築かれた尊敬と強い絆です。

愛を与えた人間に、今度は愛が返ってくる。

ベキと三人の関係からは、そんな人と人とのつながりを見ることができます。

血がつながっているから生まれる関係もあります。

しかし、ともに生き、支え、信頼し続けることで生まれていく関係もあります。

ベキという人物が周囲へ注いできた愛と、それに応えるノコル、バトラカ、ピヨの姿。

そこには、血縁という枠だけでは語ることのできない、もう一つの家族の姿が描かれているように思います。

チョッキーから新庄に対する愛

第2シーズンで描かれる人間関係の中でも、チョッキーと新庄の関係は、とても印象的です。

チョッキーは新庄に対して、単なる協力者という言葉だけでは説明できないほど強い思いを向けています。

その感情が強く表れたのが、新庄が撃たれた場面ではないでしょうか。

傷ついた新庄を前に、チョッキーは「新ちゃーん!」と叫びます。

そして新庄は、自分の両親へ「今まで育ててくれてありがとう」と伝えてほしいとチョッキーに託します。

命の危機にある新庄と、それを目の前で見つめるチョッキー。

そこに描かれている二人の関係からは、単なる仲間以上の強い感情を感じます。

『VIVANT』という作品では、国家、家族、仲間など、さまざまな人間関係が描かれてきました。

その中でチョッキーと新庄の関係が見せてくれるものは、また少し違った愛の形なのかもしれません。

誰かを好きになること。

誰かを失いたくないと思うこと。

そして、その人の命を心から案じること。

そこに性別は関係ありません。

愛する相手が男性なのか女性なのかではなく、誰か一人を大切に思う気持ちそのものに、愛の本質があるのではないでしょうか。

チョッキーから新庄へ向けられた思いを見ていると、「愛」という感情を決まった形だけに当てはめる必要はないのだと感じます。

人が人を大切に思う。

その気持ち自体が、一つの愛の形なのではないでしょうか。

まとめ――『VIVANT』が描く「愛」

ここまで『VIVANT』の登場人物たちを通して、さまざまな「愛」について考えてきました。

家族への愛、恋愛、そして言葉だけでは簡単に表せない人と人との深いつながり。

その形は違っていても、そこには共通して「誰かを大切に思う心」が描かれているように感じます。

そして愛があるからこそ、人は喜び、迷い、ときには苦しみながらも行動する。

壮大な物語が展開される『VIVANT』ですが、その根底に流れているものの一つは、そんな人間らしい感情なのかもしれません。

また、リュウと野崎の関係など、まだ答えが明らかになっていないものもあります。

物語が進むことで、新たな「愛」の形が見えてくる可能性もあるでしょう。

『VIVANT』に描かれる「愛」とは何なのか。

これからも物語を追いながら、温故創新でも考え続けていきたいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました