第一章 その男、斎藤一とは

新選組には、後世まで語り継がれる男たちがいます。
近藤勇には「局長」という顔があり、土方歳三には「鬼の副長」という顔がある。
沖田総司といえば、若き天才剣士。
永倉新八なら、豪胆な剣士。
原田左之助なら、十番隊を率いた槍の使い手。
では、斎藤一はどうでしょう。
新選組三番隊組長。
新選組屈指の剣士。
そして――謎の多い男。
斎藤一は天保15年(1844年)、江戸で生まれたとされ、本名は山口一と伝わっています。
若くして新選組の幹部となり、三番隊組長を務めたほか、隊士たちに剣術を教える撃剣師範にも名を連ねました。
ここまで聞けば、「新選組にいた凄腕の剣士」という人物像が浮かんできます。
ところが、斎藤一という男を知ろうとすると、ここから一気に面白くなります。
有名なのに、わからない。
剣術の流派には諸説があり、「左利きの剣士」という有名なイメージも、史実として確定しているわけではありません。
さらに、その生涯でいくつもの名前を名乗っています。
山口一、斎藤一、山口次郎、そして明治以降の藤田五郎など、その生涯でいくつもの名を名乗っています。
なぜ、これほど名前を変えたのでしょうか。
幕末という時代を生き抜くためだったのか。
立場が変わるたびに、新しい名が必要だったのか。
その理由も含め、斎藤一には今なお謎が残されています。
しかし、わからないことばかりの人物ではありません。
残された記録をたどっていくと、斎藤一という男の生き方が少しずつ見えてきます。
新選組として京都を駆け抜けた斎藤は、やがて戊辰戦争へ。
近藤勇が亡くなり、土方歳三が会津を離れた後も、斎藤は会津に残って戦い続けたとされています。
そして――
新選組が終わっても、斎藤一の物語は終わりませんでした。
明治という新しい時代を迎えた斎藤は、藤田五郎として生きていきます。
警察官となり、西南戦争にも従軍。
幕末を駆け抜けた剣士は、刀から銃へ、武士から警察官へと社会が大きく変わっていく時代を生き抜き、大正4年(1915年)、その生涯を閉じました。
新選組の剣士。
会津に残った男。
そして、明治を藤田五郎として生きた元新選組隊士。
斎藤一は、自らを語る華々しい言葉を多く残した人物ではありません。
だからこそ、残された記録や証言を一つずつたどっていくほど、
「この男はいったい何者だったのだろう」
という興味が湧いてきます。
単なる「新選組屈指の剣士」という言葉だけでは語り切れない。
多くの謎を残しながら、それでも激動の時代を最後まで生き抜いた男――斎藤一。
では、その斎藤が振るった剣とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。
次章では、数々の逸話を生み出した斎藤一の剣術と愛刀について、史実と伝承を分けながら見ていきます。
第二章 斎藤一の剣術と愛刀

新選組屈指の剣士――斎藤一。
そう聞けば、気になることがあります。
「斎藤一は、どれほど強かったのか?」
沖田総司、永倉新八、そして斎藤一。
新選組には後世まで名を残す剣士が何人もいたため、「結局、誰が一番強かったのか」と考えたくなるところです。
しかし斎藤の剣を調べていくと、もっと興味深いことが見えてきます。
それは、斎藤の強さを伝えるために「最強」という言葉は必要ないということです。
流派さえ謎に包まれた斎藤の剣
まず気になるのが、斎藤が何流の剣士だったのかということ。
斎藤の剣術については、無外流をはじめ複数の説が語られてきました。
一方で、斎藤が近藤勇の天然理心流と無関係だったとも言い切れません。
新選組結成以前の斎藤を試衛館の稽古人として記した史料があり、新選組を離れた阿部十郎の証言にも、近藤たちの剣術を語る中で沖田総司とともに斎藤の名前が登場します。
さらに興味深いのは、阿部が永倉新八については「流派が違う」という趣旨の証言を残していることです。
永倉が神道無念流の使い手だったことを考えると、この証言から斎藤が天然理心流を学んでいた可能性を考えることもできます。
ただし、これだけで斎藤の流派を天然理心流だったと断定することはできません。
無外流だったのか。
天然理心流を学んでいたのか。
あるいは、複数の剣術を身につけていたのか。
斎藤ほどの剣士でありながら、その根幹ともいえる流派さえ、現在まで議論が残っているのです。
けれども――。
流派がわからないことと、剣の腕前がわからないことは別の話です。
同じ時代を生きた者が見た「斎藤の剣」
斎藤の強さを考えるうえで注目したいのが、後世に作られた物語ではなく、実際に新選組を知っていた人物の証言です。
御陵衛士に加わった阿部十郎は、後年、新選組隊士たちの剣について証言しています。
そこで高く評価されているのが、沖田総司、斎藤一、そして永倉新八でした。
ここで大切なのは、
「沖田と斎藤、どちらが強かったのか」
という勝負を決めることではありません。
同じ時代に生き、新選組の剣を実際に知る人物の記憶の中に、斎藤一の名前が残っていたことです。
さらに斎藤は、新選組で撃剣師範にも名を連ねています。
自分が剣を振るえるだけではなく、人に剣術を教える立場でもあった。
隊士たちの中でも、その技量を認められていたことをうかがわせます。
斎藤一の剣には、派手な必殺技の記録が残っているわけではありません。
それでも、後世の創作だけではなく、同時代に彼を知る者の証言や新選組内部での役割から、剣士としての姿が浮かび上がってくるのです。
「左利きの斎藤一」は本当なのか
斎藤一と聞いて、
「左利きの剣士!」
そんな姿を真っ先に思い浮かべる人もいるのではないでしょうか。
漫画、小説、ゲームなどでは、左手で刀を扱ったり、独特の突きを得意としたりする斎藤が描かれることがあります。
そして何を隠そう、筆者自身もそんな斎藤一が好きな一人です。
だからこそ、少しだけ史実の斎藤にも目を向けてみましょう。
実は現在のところ、斎藤一が左利きだったことを確実に示す史料は確認されてないんだそうです。
もちろん、これは「斎藤は左利きではなかった」と断定する話でもありません。
左利きだった可能性を否定するのではなく、現在残されている史料だけでは、そこまではわからない。
これが、史実から見たときの一つの答えになります。
でも、ここが歴史人物の面白いところではないでしょうか。
史実として残された斎藤一。
そして漫画や小説、ゲームなどを通して、私たちの中に育ってきた斎藤一。
どちらか一方を否定する必要はありません。
創作の斎藤をきっかけに「本当の斎藤一はどんな人物だったんだろう?」と史実に興味を持つ。
逆に史実を知ったあとで創作を見ると、「ここをこう描いたのか」と以前とは違った楽しみ方ができる。
創作から史実へ。史実から、もう一度創作へ。
その往復もまた、歴史人物を知る楽しさの一つだと筆者は思います。
左利きの斎藤一が好きな人も。
史実の斎藤一を知りたい人も。
まず覚えておきたいのは、
「左利きとして有名。しかし、史実としてはまだ謎が残っている」
ということ。
それくらいの距離感で、斎藤一という男を楽しむのがちょうどいいのかもしれません。
斎藤一の愛刀――鬼神丸国重と関孫六
剣士を語るなら、もう一つ気になるのが刀です。
斎藤一の愛刀としては、鬼神丸国重や関孫六の名がよく挙げられます。
名前だけでも、いかにも新選組の剣士が持っていそうな刀です。
しかし、ここでも斎藤らしく「謎」が残ります。
現在伝わっている史料から、これらの刀を斎藤が愛刀として使用していたと確実に断定することは難しいのです。
特に関孫六については、後世の講談などを通して斎藤の愛刀として広まった可能性が指摘されています。
有名だから史実とは限らない。
けれど、有名になったことにもまた歴史があります。
斎藤一という剣士が後世まで語り継がれ、その強さを象徴するものとして刀にも物語が与えられていった。
そう考えると、愛刀伝説もまた「斎藤一という人物がどのように伝えられてきたのか」を知る手がかりになります。
名前の残らない剣、それでも残った評価
流派には諸説がある。
左利きだったのかもわからない。
愛刀についても確証がない。
こうして並べると、斎藤一の剣について「何もわかっていない」ようにも見えます。
しかし、不思議なことがあります。
それでも、斎藤一が優れた剣士だったという評価は残りました。
刀の名前ではなく。
必殺技でもなく。
「最強」という後世の称号でもない。
実際に新選組を知る者の証言に名が残り、組織の中では撃剣師範を務め、三番隊組長として激動の京都を生きた。
斎藤一の剣を知ろうとしたとき、本当に見るべきものは「誰より強かったのか」ではないのかもしれません。
何流だったのかさえ議論が残り、どの刀を愛用したのかさえ確定できない。
それでも百年以上の時を越えて、
「斎藤一は剣の達人だった」
という記憶だけは消えなかった。
それこそが、斎藤一の剣を物語る一つの答えなのではないでしょうか。
第三章 斎藤一の人間関係

斎藤一という人物を知ろうとすると、どうしても「謎」という言葉がついて回ります。
自ら多くを語らず、後世に残された記録も決して多くない。
ならば、少し視点を変えてみましょう。
斎藤一のそばには、どんな男たちがいたのか。
近藤勇、土方歳三、沖田総司。
新選組を語るうえで欠かすことのできない三人との関係をたどることで、これまでとは少し違った斎藤一の姿が見えてきます。
近藤勇――すべての始まりとなった試衛館
斎藤一と近藤勇。
二人の出会いについて、「この日、この場所で出会った」と断定できるような記録が残されているわけではありません。
しかし、二人をつなぐ重要な場所があります。
天然理心流の道場・試衛館です。
永倉新八が残した『浪士文久報国記事』には、試衛館で稽古をし、その後に国事を論じていた人々の中に斎藤一の名前が記されています。
そこには近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八、藤堂平助、井上源三郎ら、後の新選組を支える男たちの名も並んでいました。
つまり斎藤は、新選組が京都でその名を轟かせる以前から、近藤たちと接点を持っていた可能性が高いのです。
ただ、少し不思議なことがあります。
文久3年(1863年)、近藤たちが浪士組として江戸から京都へ向かった際、その名簿に斎藤の名前は確認できません。
ところがその後、京都に残った近藤たちが会津藩へ提出した嘆願書には、斎藤の名前が現れます。
どのような経緯で京都へ向かい、どこで近藤たちと再び合流したのか。
ここにも、斎藤らしい謎が残ります。
やがて近藤を局長として新選組が組織され、斎藤は三番隊組長などの要職を担うことになります。
厳しい規律によって隊をまとめていった近藤や土方。
その規律については、これまでの記事でも何度か触れてきましたので、ここでは深く掘り下げません。
今回注目したいのは、そのずっと前です。
まだ「新選組」という名前すらなかった頃から、近藤と斎藤をつなぐ道場があった。
後に京都を震わせる剣士たちが、江戸の小さな道場に集まり、剣を振り、時代について語っていた。
斎藤一の新選組での物語をたどるなら、その始まりには近藤勇と試衛館の存在があったのです。
土方歳三――会津で分かれた二人の道
近藤勇が亡くなった後も、新選組の戦いは続きました。
そして斎藤一と土方歳三は、戊辰戦争の中で会津へと向かいます。
かつて京都で同じ隊を支えた二人。
しかし、その道は会津で分かれることになります。
新政府軍の攻勢によって戦況が悪化する中、土方は会津を離れ、援軍を求めて北へ向かおうとします。
一方の斎藤は――
会津に残る道を選びました。
このとき斎藤が語ったとされる言葉が、『谷口四郎兵衛日記』に残されています。
一度会津へ来た以上、落城しようとしている会津を見捨てて去ることは「誠義」に反する。
そのような趣旨の言葉です。
ここだけを見ると、
「土方と斎藤は対立した」
「二人は決別した」
と考えたくなります。
しかし、土方は戦いを諦めて逃げたわけではありません。
援軍を求め、戦いを続けるために会津を離れた。
そして斎藤もまた、自分が戦うべき場所を会津と定めた。
同じ新選組を背負いながら、二人が選んだ戦い方が違った。
土方はその後、さらに北へ。
やがて箱館へ渡り、最後まで戦い続けます。
斎藤は会津に残り、新選組の隊士たちとともに戦いました。
京都では同じ旗の下にいた二人が、近藤を失い、時代そのものが崩れていく中で、それぞれの「誠」を選んだ。
筆者には、この場面が単なる決別には思えません。
土方には土方の誠があり、斎藤には斎藤の誠があった。
二人が別々の道を選んだからこそ、その生き方の違いが鮮明に見えてくるように思います。
沖田総司――二人の天才剣士、その本当の関係は?
そして、斎藤一の人間関係で最も気になる人物。
沖田総司です。
沖田総司と斎藤一。
どちらも新選組を代表する剣士として、現在までその名を残しています。
年齢も近く、同じ試衛館周辺に名が残り、後には新選組でともに戦った二人。
そう聞けば、
「きっと二人は親友だったのでは?」
「毎日のように剣を交えていたのでは?」
そんな姿を想像したくなります。
筆者も、そうであってほしいと思ってしまいます。
しかし――。
二人の個人的な関係を詳しく伝える史料は、ほとんど残されていません。
ここは創作と史実を分けて考える必要があります。
二人がどんな会話をしたのか。
酒を酌み交わしたのか。
互いをライバルだと思っていたのか。
残念ながら、そこまではわかりません。
ところが、面白いことに「剣」になると二人の名前は並んで現れます。
新選組を離れ御陵衛士となった阿部十郎は、後年、近藤勇の高弟について語っています。
そこで最初に名前が挙がるのが沖田総司。
そして、その次に斎藤一の名前が続きます。
さらに阿部は、永倉新八については二人とは流派が違うという趣旨の証言も残しています。
誰が一番強かったのか。
筆者が面白いと思うのは別のところです。
実際に彼らを知っていた人物が、剣を語るとき、沖田総司と斎藤一を続けて思い出した。
沖田は近藤勇の道場で若くして才能を認められ、新選組では一番隊組長を務めました。
斎藤もまた三番隊組長となり、撃剣師範として隊士たちに剣を教える立場にありました。
二人がどれほど頻繁に稽古をしたのかはわかりません。
しかし同じ時代、同じ組織に、
沖田総司という剣士がいて、斎藤一という剣士がいた。
その事実だけでも、少し想像してしまいます。
試衛館で。
あるいは京都の屯所で。
二人が竹刀を手に向かい合ったことはあったのでしょうか。
どちらが先に一本を取ったのか。
稽古の後、何を話したのか。
そこから先は、史料ではなく私たちの想像の世界です。
けれど、何もわからないからといって、二人の関係に何もなかったとも言い切れません。
史料から確かに見えてくるのは、
沖田総司と斎藤一が、ともに新選組を代表する剣士として記憶されたこと。
それだけです。
でも筆者には、それで十分な気もします。
創作では、二人を友として描くこともできる。
ライバルとして描くこともできる。
無口な斎藤と、明るい沖田という対照的な人物像を楽しむこともできます。
しかし史実へ戻れば、二人の間には大きな余白が残っています。
そして、その余白があるからこそ想像できる。
わからないから、知りたくなる。
第一章から何度も顔を出してきた「謎」という言葉は、沖田総司との関係でも斎藤一について回るのです。
近藤勇との始まり。
沖田総司と並び称された剣。
そして、土方歳三と分かれた会津。
三人との関係をたどっても、斎藤一のすべてがわかるわけではありません。
けれど、周囲にいた男たちを通して見ることで、寡黙な剣士の輪郭は少しだけ濃くなったように思います。
第四章 ドラマ「ちるらん」から見る斎藤一

ここまで、史実に残された斎藤一を見てきました。
新選組屈指と評された剣の腕。
会津に残るという選択。
そして、沖田総司との間に残された大きな余白。
調べれば調べるほど、斎藤一は「わからない部分」が多い人物です。
では、そんな斎藤一を創作ではどう描くのか。
漫画、そしてドラマ「ちるらん」に登場する斎藤一は、史実では見えにくい「感情」の部分を大胆に膨らませた人物として描かれています。
「試衛館一のサディスト」斎藤一
「ちるらん」の斎藤一を一言で表すなら、やはり一筋縄ではいきません。
一見すると冷たい。
冷静で、時には冷徹にすら見える。
ところが、それだけの男ではありません。
意外にも、人にちょっかいを出したり、イジったりすることが好きです。
そのことがよく表れているのが、オープニングのワンシーンです。
左之助が大鎌を使って稽古をしている中、「決まったぞな」と言ったところを斎藤がイジり、左之助に追い回される場面があります。
このシーンは、斎藤のカッコよさだけを見せるものではありません。
斎藤と左之助のやり取りには、思わず笑ってしまうような面白さもあります。
こうしたコミカルな場面が入ることで、ドラマ「ちるらん」らしい魅力がより伝わってくるのです。
相手の反応を見ながら楽しんでいるような場面もあり、史実から想像する「寡黙で謎めいた剣士」とは、また違った人間臭さがあります。
ドラマ版でも斎藤は「試衛館一のサディスト」と紹介されています。
ただ、この言葉だけを見て「冷酷な人物」と捉えてしまうと、「ちるらん」の斎藤一の魅力を半分しか見ていないように思います。
なぜなら、この男。
実は、かなり仲間想いなのです。
冷たく見えて、誰より仲間を見ている
「ちるらん」の斎藤一の面白さは、言葉と行動の間にあります。
普段の態度だけを見れば、仲間に熱い言葉をかけるようなタイプではありません。
それどころか、相手をイジる。
からかう。
時には冷たい言葉すら口にする。
ところが、本当に仲間が傷ついたとき。
斎藤は言葉ではなく、行動で感情を見せます。
それがよく表れているのが、竜之介との試合や、鋭三郎の仇討ちとなる新見錦粛清に関わる場面です。
細かな展開については、これから「ちるらん」を楽しむ人のためにも、ここでは控えます。
ただ、そこにいる斎藤を見ていると、
「この男、本当は仲間のことが大好きなんじゃないか?」
と思わされます。
優しい言葉を並べるわけではない。
自分から「仲間は大切だ」と語るわけでもない。
それでも、いざというときには動く。
一見すると冷たいのに、その行動を追っていくと仲間への想いが見えてくる。
筆者が「ちるらん」の斎藤一に惹かれる理由は、まさにこの二面性です。
史実では見えない「斎藤一の心」
もちろん、ここで一つ忘れてはいけないことがあります。
これは、あくまで「ちるらん」が描いた斎藤一です。
史実の斎藤一が本当に仲間をイジることが好きだったのか。
冷たい態度の裏で、同じように仲間を想っていたのか。
そこまでを確認できる史料が残っているわけではありません。
でも、だから創作は面白い。
史実に残された出来事と人物の間にある「空白」に、物語は一つの答えを描くことができます。
第一章から何度も触れてきたように、斎藤一にはわからないことが多くあります。
ならば、
「こんな斎藤一だったのかもしれない」
と想像してみる。
史実そのものではありません。
それでも、創作の斎藤を好きになったことをきっかけに、史実の斎藤一を調べてみる。
そして史実を知ったあと、もう一度作品へ戻ってみる。
第二章でも触れましたが、
創作から史実へ。史実から、もう一度創作へ。
筆者は、それも歴史を楽しむ一つの方法だと思っています。
藤原季節は「斎藤一の二面性」をどう演じるのか
ドラマ「ちるらん」で斎藤一を演じるのは、藤原季節さんです。
筆者が注目したいのは、剣の強さだけではありません。
冷徹に見える斎藤。
人をイジって楽しむ斎藤。
そして、その奥にいる仲間想いの斎藤。
この一見すると矛盾しているような顔を、藤原季節さんがどう一人の人物として見せてくれるのか。
「試衛館一のサディスト」という強烈な肩書きだけで終わらない斎藤一を期待したくなります。
史実の斎藤一を知ったからこそ、創作の斎藤一が面白くなる。
そして創作の斎藤一を好きになったからこそ、本物の斎藤一をもっと知りたくなる。
史実と創作。
どちらかを正解にするのではなく、その間を行ったり来たりしながら楽しむ。
それが、筆者が「ちるらん」の斎藤一に感じている魅力です。
第五章 まとめ―斎藤一をブログで書き思ったこと

今回、斎藤一という人物について調べ、ブログとして書いていく中で、一つ強く感じたことがあります。
斎藤一という男は、やはり「クール」「冷静」「冷徹」という言葉がよく似合います。
しかし、その言葉だけでは少し足りない。
筆者には、斎藤一という男の奥に、自分なりの正義、そして簡単には曲げない「芯」があったように感じました。
冷たい男なのではない。
自分の中にあるものを、簡単には外へ見せない男だったのではないか。
そんな印象です。
特に心に残ったのが、会津で土方歳三と道を分けた場面でした。
土方には土方の戦う理由がありました。
斎藤には斎藤の戦う理由があった。
斎藤はそこで、周囲に合わせるのではなく、自分が正しいと思った道を選び、会津に残ります。
それを頑固と見ることもできるかもしれません。
しかし筆者には、自分の中にある「誠義」を曲げなかったように見えます。
声高に正義を語るのではない。
誰かに自分の考えを認めてもらうためでもない。
ただ、自分が正しいと思ったことを貫く。
斎藤一の強さは、剣だけではなかったのかもしれません。
そして、もう一つ感じたのが「人を見る力」です。
これは史料から斎藤一の性格として断定できるものではありません。
それでも史実と「ちるらん」の斎藤を追っていると、筆者には、斎藤という男は周囲をよく見ている人物のように感じられました。
特に「ちるらん」の斎藤は、その部分がわかりやすく描かれています。
人をイジるときも。
仲間が傷ついたときも。
自分が前へ出るべきときも。
相手を見て、状況を見て、そして動く。
だからこそ、一見すると冷たい斎藤の行動から、仲間への想いが見えた瞬間に強く惹かれるのかもしれません。
そして今回、斎藤一について調べていて一番面白かったのは、
「わからないことが、こんなにも多い人物だったのか」
ということでした。
剣術の流派。
左利きだったのか。
愛刀。
沖田総司との本当の関係。
調べればすべてに答えが出ると思っていました。
しかし、実際にはそうではありませんでした。
それでも斎藤一という人物は、百年以上の時を越えて語り継がれています。
なぜなのでしょうか。
新選組屈指の剣士だったから。
もちろん、それも理由の一つでしょう。
しかし筆者は、今回の記事を書き終えて、それだけではないように感じています。
激動の時代の中で、自分の立つ場所を選び続けたこと。
新選組が終わっても藤田五郎として新しい時代を生きたこと。
そして、すべてを語り残さなかったからこそ、今も私たちが「斎藤一とは、どんな男だったのだろう」と考え続けていること。
クールで、冷静で、時に冷徹。
けれど、その奥には自分なりの正義があり、簡単には曲げない芯がある。
筆者には、そんな男に見えました。
史実から斎藤一を知る。
創作から斎藤一を好きになる。
そして、もう一度史実へ戻ってみる。
そうやって何度も行き来しながら、自分なりの「斎藤一」を見つけていく。
それもまた、歴史を知る面白さなのかもしれません。
新選組三番隊組長、斎藤一。
謎が多いからこそ、知りたくなる。
そして知れば知るほど、もっと知りたくなる。
今回ブログを書き終えて、筆者が最後に感じたのは――
そんな、不思議な魅力を持った男でした。
参考資料
・Wikipedia「斎藤一」
・歴史プラス「斎藤一」関連資料
・福島県立博物館 斎藤一関連資料
・日本の歴史.com「斎藤一」
・武将ジャパン「斎藤一」
・全国中学高校Webコンテスト「斎藤一」関連ページ
・今日は何の日?徒然日記「斎藤一」関連資料
・無外流兵法譚「新選組・斎藤一」関連資料
・幕末ガイド「斎藤一」
・歴史人「斎藤一」関連資料
・歴史ランド「斎藤一」
・カラフル「斎藤一」関連資料
・WEB歴史街道「斎藤一」
・幕末維新新選組「斎藤一」
・無外流兵法譚「斎藤一」関連資料
・Yahoo!ニュース エキスパート「斎藤一」関連記事
・映画ナタリー「ちるらん」関連情報
・THE SEVEN「ちるらん」公式情報
注記
本記事では、史料・各種研究資料・関連文献を参考にしながら、史実として確認できる内容と、後世の伝承・創作上の人物像をできる限り分けて記載しています。斎藤一については諸説ある事項も多いため、確定していない内容については断定を避けています。
「ちるらん」に関する記述は、作品および公開されている公式情報をもとにした筆者の感想・考察を含みます。
本記事に掲載している人物画像・イメージ画像には、生成AIによって制作・加工した画像を使用しています。史実上の人物の実際の容姿・場面を再現したものではありません。


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